風立ちぬ

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風立ちぬ
風立ちぬ

あらすじ

大正から昭和にかけての日本。戦争や大震災、世界恐慌による不景気により、世間は閉塞感に覆われていた。航空機の設計者である堀越二郎はイタリア人飛行機製作者カプローニを尊敬し、いつか美しい飛行機を作り上げたいという野心を抱いていた。関東大震災のさなか汽車で出会った菜穂子とある日再会。二人は恋に落ちるが、菜穂子が結核にかかってしまう。

風立ちぬ
いまだ飛ぶ鳥を落とす勢いで公開中の『風立ちぬ』を観ました。ちょっと長くなるかもしれません。

以下、ネタバレあり。

夢と現実の区別が付かない、不思議なお話です。ベースは堀辰雄が書いた小説「風立ちぬ」。そこに実在の堀越二郎という人の人生を絡めてみた感じ。わたしは小説を読んだことがないですが、この映画で描かれていることが、堀越二郎のすべてではないのです。あくまでも中身は「風立ちぬ(小説版)」。びっくりするほどのラブストーリーが展開されました。

映画の話をする前に、ちょっとだけ「永遠の0」について書いておこうと思います。「永遠の0」は、今年12月に映画公開も決まっている、百田尚樹の小説です。「0」とは太平洋戦争中に活躍した【零戦(またはゼロ戦)】のことを意味します。

『風立ちぬ』が公開された頃、わたしは「永遠の0」を読み始めました。別の映画を観るために時間をつぶさなければならなくて、その時に読んでみようかなと手に取った本です。実はそれまでも書店で何回か手に取る機会はあったのですが、なぜか買うに至らず。この時期このタイミングでこの本を買ったことは、わたしにとってはなにか意味があるように思えました。

簡単なあらすじは、

【主人公の佐伯健太郎は、自分の祖父とは実は血がつながっていないことを知らされる。実の祖父は太平洋戦争中に、ゼロ戦に乗って特攻で戦死した航空兵、宮部久蔵だ、と。宮部に興味を持ったフリーライターの姉にそそのかされるように、健太郎は宮部の足跡を調べ始める。】

っていう感じ。ものすごくざっくり言うと。

ネタバレは避けますが、とにかく泣けて泣けて泣けて仕方なかったです。通勤電車の中で、あやうく涙がこぼれそうになって本を閉じたことも1度や2度じゃありません。普段泣ける映画を観てもあんまり泣かない、涙も枯れ果てたようなうちの母にも読ませてみたのですが、家で一人だったのをいいことに嗚咽しながら読んだそうです。ちょっとその姿、見てみたかった(笑)。

健太郎も宮部も架空の人物ですが、小説には実在の人がたくさん出てきます。自分の身を守ることしか考えていなかった上級士官、短い命をゼロ戦と共に敵艦に捧げた若い航空兵たち。飛行機ごと敵の空母に突っ込んで行くなんて、正気の沙汰じゃない。そして特攻を命じた上官たちは、決して自分たちの命を掛けようとはしない。階級の低い兵士たちは、航空兵に限らず皆、使い捨てだったのです。

日中戦争当時から、ゼロ戦の優れた戦闘能力は世界一だと言われていました。太平洋戦争に突入してもその威力は衰えることはなかったものの、皮肉にも後継機が育たず戦争終盤まで戦っていたため、運悪くほぼ無傷で墜落してしまったゼロ戦を米軍が回収し、徹底的に分析されてしまいました。その結果、ゼロ戦に対する対空砲火装備を完全に整えられてしまい、特攻機は敵艦に近づくまでもなく撃ち落とされたそうです。

いかに兵士たちの命が軽んじられていたかは、ゼロ戦を見れば一目瞭然。対空砲火でなくても、ゼロ戦は空中戦での後ろからの攻撃にはまったく歯が立ちませんでした。なぜなら徹底的に機体を軽量化したため、パイロットの後頭部を守るものがなにも付いていなかったからです。ただ戦うためだけに造られた飛行機。操縦桿を握る人間の身の安全はまったく軽視されていた飛行機。そんなゼロ戦を設計したのが、堀越二郎。小説の中にも名前が出てきます。

わたしは『風立ちぬ』を観に行くつもりはありませんでした。でも、小説の中に出てきちゃったから、観に行こうと思ったの。いったいどんな人間が、こんなひどい殺戮兵器を造ったのか確かめようと思って。別の映画を観に行くたびに、「風立ちぬ4分間予告」っていうのも見せられてたし。この予告、当初は映画終了後に流されていたんだけど、観客から「今観た映画の余韻ぶち壊すな」ってクレームが来て、上映前に流されるようになったんだって。そんなのちょっと考えればすぐわかるのに。何がしたかったんだジブリ。

で、やっと映画本編の話に入りますが、予想外にラブラブのラブストーリーだったんですよね、これが。

関東大震災の時に出会った堀越二郎と里見菜穂子は、数年後に避暑で訪れていた軽井沢で偶然再会する。

風立ちぬ

4分間予告の中でその再会シーンが出てきてたんだけど、その時に菜穂子が二郎にこう言います。

「震災の時、本当にお世話になりました。里見菜穂子と申します」

って、それはもうなんだか切ない声で、涙を誘う感じで。そしたら本編じゃ、再会できてうれしくって仕方ない菜穂子さんでしたよ。予告編にだまされるって、よくあることです。もう予告編は別の1本の映画だと思った方がいい。

子供の頃から飛行機が大好きだった二郎は、時々夢の世界でイタリア人の飛行機設計士のカプローニと話をします。これがあまりにも唐突に始まるもんだから、こっちとしては一瞬現実なんじゃないかと惑わされてしまう。そんな複線があるから、軽井沢で出会うドイツ人も実は空想の人なんじゃないかと勘違いさせられたりして。

二郎は同僚と一緒に、ドイツにある戦闘機を造っている会社に視察に行きます。そこでの二人の会話。

「日本はどこと戦うつもりなんだろう」
「アメリカだろう。勝てるわけないのに」

勝てるわけないってわかっているのに、負け戦に突き進んで行く日本。きっとどうかしてたんだと思う。

結核に冒された菜穂子は療養所に入るんだけど、そこでの治療法っていうかなんなのかがさっぱり意味不明。雪が舞うような寒空の下、毛布にくるまった結核患者たちが一列に寝かされているのです。あれ、なに?菌が病院内に充満しないように?それとも日光消毒とか、そういうことなの?

菜穂子は結核を治すまでは二郎と結婚しないと決めているんだけど、もう自分は治らないと悟ってしまう。そして療養所を抜け出し、汽車を乗り継いで名古屋で働く二郎のところへと行ってしまう。二郎も菜穂子を療養所へは送り返さず、お世話になっている上司夫妻の媒酌のもと、二人は結婚。

そっからもうラブラブです。ラブラブ。ほんとに(照)。菜穂子が寝ている傍らで仕事をする二郎。二人はずっと手をつないでいる。二郎が「タバコ吸いたい。手を離しちゃダメ?」って聞くと、「ダメ。ここで吸って」って菜穂子が言う。そしたらほんとにそこでタバコ吸い始めちゃう二郎。おいおいおい、隣は結核患者だっていうのに!この映画、喫煙シーンが多すぎるって、問題になってましたね。そういう時代のお話なんですよ。

つかの間の一緒の時間を過ごした後、菜穂子は誰にも告げず一人で療養所へと戻って行きます。自分の死期を悟ったんですね。

てっきりゼロ戦での戦闘シーンも描かれているのかと思ったら、それはまったくありませんでした。例によりカプローニが出てきて、二郎とこんな会話をして映画は終わります。

「あれが君の造ったゼロかね」
「でも1機も戻ってきませんでした」

そして菜穂子は死んでしまったんだとわかる演出。泣けました。そう、わたしこの映画で何度も泣いたんだった。みんなに「え?どこで?」って言われたけど。

エンドロールで実在の堀越二郎さんのお子さんらしき方たちの名前が出てきて、あれ、菜穂子さん死んじゃったのに、って思ったけど、実際の奥さんは結核で亡くなってない。これはあくまでも小説「風立ちぬ」のストーリー。そのへんごっちゃになっちゃって、二郎さんの人生はこういう話だったのかって誤解している人も多いんじゃないかと。

そして最後に流れるユーミンの「ひこうき雲」の歌詞の内容が、ほんとにこの映画にぴったりで。40年も前の曲なんですよ、ひこうき雲って。

声優に関しても、賛否両論いろいろあります。もともと宮崎監督はあんまり声優にはこだわらない人みたい。プロの声優じゃない人を使うことが多いです。(ラピュタでパズーを演じた田中”ルフィ”真弓さんに「声優は好きじゃない」と言い放ったとかなんとか)

わたしも最初は二郎の声がしっくりこなかったけど、中盤でゼロ戦の設計について熱く語るシーンでは「おっ」って思った。感情を入れすぎず、朴訥な感じだったのがそこだけ熱弁ふるってて、急に命が吹き込まれたような(笑)。

急にカプローニが出てきたりするのも、これがこうだからという正解はないと思うんです。「なぜラピュタの飛行石は空を飛ぶのか」って聞かれたら、「だってそういう石だから」と答えるような監督です。理屈はいらない。監督が描きたいものを描ききった映画なんだと思います。とにかく監督は空を飛ぶのが好きなんだよきっと。ナウシカのメーヴェも、ラピュタも、魔女の宅急便のトンボも、空を飛びたいっていう監督の意思そのものなんだと思う(わたしが勝手に思ってるだけですー!)。

ジブリなのに子供には難しすぎる、という意見もよく聞きます。でも、そもそもジブリ映画を簡単に理解できる子供なんて、ほとんどいないと思うんです。ナウシカやラピュタはある程度大きくなっていたわたしにも難しかったし、もののけ姫なんて未だに意味わからん。ジブリ=子供向けっていうのは、どのあたりからそうなったのかな。トトロ?ほんとの子供向け(でも大人も十分楽しめる)映画は、ディズニーに任せておけばいいよ。

ゼロ戦がなければあそこまで戦えなかったけど、ゼロ戦があったからあそこまで戦わされたんだ。もうダメだってわかってるのに、ゼロ神話ばっかり信じて、とっくに時代遅れになってる飛行機に乗って突っ込んで行った。

ゼロ戦の特攻よりもっとひどい、「桜花」というものがあったそうです。全然知らなかった。このくだりが「永遠の0」に出てきた時、辛くて辛くて耐えられなかった。

そんなシーンがこの映画に出てこなかったことが、わたしにとって唯一の救いでした。

ということで、☆4つ。
ラブラブなシーンだけを観にもう1回行こうかと本気で思ってます。


永遠の0

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