『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』
あらすじ
名門少年合唱団を有する私立学校に入学した問題児のステット(ギャレット・ウェアリング)は、厳格な合唱団団長カーヴェル(ダスティン・ホフマン)に天性の美声を見いだされる。才能を認められず指導者の道を歩んだ過去を持つカーヴェルは、ステットを厳しく指導する。楽譜も読めず同級生たちからいじめられるステットだったが、やがてカーヴェルの指導により歌う喜びに目覚めていく。
人生のうち、ほんの限られた時間だけ少年に与えられる声、ボーイソプラノ。たぶん自分の才能を知らずに埋もれて変声しちゃった子供はいっぱいいるんじゃないかと思う。
母子家庭で育ったステット。学校での彼は問題児扱いで、でも音楽の先生はステットに歌の才能があることを見抜き、カーヴェル率いる有名な合唱団を学校に招致し、その勢いでステットに合唱団に入る面接を受けさせようとする。しかし事前に察知したステットは逃亡。家に帰るも母親は毎日お酒ばかり飲んでろくに働きもせず、自分の居場所が見つからないいらだちを抱える。
ある日、母親が飲酒運転中に事故を起こし死亡してしまう。ステットは実の父親に引き取られることになるが、その父親には妻子がいた。だからたぶんステットは不倫の末に生まれた子供じゃないかと思う(ちょっと記憶あいまい)。その父親も引き取りたくないもんだから、お金を積んで無理やりカーヴェルがいる私立学校にステットを入学させてしまう。
そこは寄宿学校で、楽譜もろくに読めないステットはなかなかうまく周りになじめない。でも自分のいる場所はここしかないと悟り、猛勉強の末合唱のソロを任せられるまでになる。
偏見かもしれないけど、こんなとんがってる子供が真面目に合唱なんてするわけないと思ってた。ロックとかならまだしも、きれいなソプラノで歌うんだから。「そんなの恥ずかしくてやってらんねーよ!」って言ってもおかしくない。実際わたしが小学生だった頃のちょい悪ぶってるやつらってそんな感じだったし。でもステットは自分の才能を知ってか知らずか、一生懸命声を磨く努力をするんです。
これが最初に書いた、自分の才能を知らずに埋もれちゃった子供が多いと思った理由。合唱なんて、とバカにして、貴重なボーイソプラノの才能が花開かなかった男の子って実はいっぱいいるんじゃないかって。もったいないよねー。
ステットを演じたギャレットくんは、映画の中でほぼ自分の声で歌っていたそうです。撮影中に本人自身の声変わりも始まっちゃって、高音が出しづらくなってたみたい。
カーヴェルの指導は容赦なく、わざとライバルをけしかけて競争心をあおったり、かなり厳しいことも言う。でもそれはステットに才能があると信じているから。
少年たちの合唱シーンはとても見事で、観ていて鳥肌が立ちました。
校長先生役のキャシー・ベイツのセリフで「ドッキリかなにか?」って言うところがあって、その前後関係からわたし一人で笑ってしまいました。この訳は絶妙です。
カーヴェルとは別に合唱を指導する若い先生がいて、どこかで観たことある人だなーと思ったら、あの「glee」でメガネかけて車いすに乗ってた青年だって!といっても、「glee」はマイケルリスペクトの回しか観たことないです(笑)。
ということで、/5
わたし、歌がうまい人には無条件で惚れます。