都内でたった2館(今のところ)しかやっていない、「イリュージョニスト」を観ました。
ジャック・タチが娘のソフィアのために残した脚本を、「ベルヴィル・ランデブー」のシルヴァン・ショメが監督してできた作品です。
『イリュージョニスト』
あらすじ
1950年代のパリ。
場末の劇場やバーで手品を披露していた老手品師のタチシェフは、スコットランドの離島にやって来る。
この辺ぴな田舎ではタチシェフの芸もまだまだ歓迎され、バーで出会った少女アリスはタチシェフを“魔法使い”だと信じるように。
そして島を離れるタチシェフについてきたアリスに、彼もまた生き別れた娘の面影を見るようになり・・・。
以下、ネタバレややあり。
試写会にも応募していたのだけれど、震災の影響で中止になってしまって観に行けなかった映画。
「観たほうがいい」と薦めてくれた人もいて、満を持しての鑑賞です(笑)。
アニメーションなんだけど、決して子供にとって容易に理解できる内容ではない。
セリフはほとんどなく、ただただノスタルジックな絵柄のストーリーが淡々と進んでいく。
完全に大人向けのアニメだと思います。子供も観に来てたけど。
落ちぶれた手品師のタチシェフは、自分が出演できる劇場を求め、パリからロンドンを経て、スコットランドまで旅をする。
1950年代の話だけど、たぶんその時点でもうタチシェフの手品は「古臭い」部類に入る方だと思う。
お客さんは入らず、ビートルズを思わせるバンドの後の出番では誰も見てくれないのは当たり前。
それでもなぜか、タチシェフは手品を続けるんだよね。たいした稼ぎにもならないのに。
そして行き着いたスコットランドの田舎。ここではまだタチシェフの手品を受け入れる、いい意味での浮世離れした生活が残っていた。
舞台として提供されたギネスバーで出会ったのが、アリスという少女。
身なりはみすぼらしく、スコットランド方言のゲール語しか話すことができない。
フランス人のタチシェフと、スコットランド人のアリス。最初っから言葉が通じないのである。
だから、この映画にセリフがなかったとしても、そこは全然問題じゃない。
むしろ、よけいな言葉に惑わされないから、登場人物たちの動きにイヤでも注目せざるを得ない。
例えセリフがなくたって、人の動きや表情で、気持ちって伝わるんだよね。
これを観ながら、「あぁ、バベルってこういうこと」ってずっと思ってた。
アリスはひょんなことからタチシェフを魔法使いと勘違いし、次の場所へと旅立つ彼の後を追ってきてしまう。
ここから2人の、妙な旅が始まる。
アリスはタチシェフを魔法使いだと思ってるから、欲しいと望めばなんでも与えてくれると信じてる。
なんとかそうじゃないんだと説明したくても、いかんせん言葉が通じないから無理。
っていうか、2人とも英語話せないの?
観ているうちに、わたしはだんだんアリスに対して腹が立ってきて仕方なかった。
新しいものを手に入れたら、今まで使っていたものはためらいもなく捨てていく。
次から次へと違うものをタチシェフにねだり、その前に手に入れたものへの感謝がない。
そして自分はとっとと彼氏なんか作っちゃって、タチシェフへの興味すら薄れていく。
なんなの、この女。ムカつく。
貧しい暮らしをしていたアリスにとって、タチシェフとの言わば逃避行はきっと夢のような時間だったに違いない。
だったら、もっとタチシェフに感謝しなさいよ。それを手に入れるために、どんだけ苦労してると思ってんの。
・・・だけど、タチシェフには幼くして亡くなった娘がいて、その姿をアリスに映して見ていたのね。
わたし、それを知ったのが鑑賞後で(爆)。ヒントはいっぱいあったのに、全然気がつかなくて。
先にそれに気がついていたら、もっと違う見方もできたのかなぁ。でもやっぱり許せないけど。
旅先で出会った大道芸人たちは、みんな生きていくのに精一杯。
大事な商売道具を質草にしたり、希望をなくして首を吊ろうとしたり。なんだかすごく切なかった。
わたしはタチシェフみたいな、不器用で、だけど真っ直ぐで、優しくて、人のために動くことを厭わない人が好き。
だから余計に、その行為を踏みにじるアリスが許せなかったのかもしれない。
ラスト、わたしは「手品師」という言葉に惑わされていたことに気がついて、愕然とした。
そう、だからタイトルは「イリュージョニスト」。決して「マジシャン」であってはならない。
そこに気づいたとき、映画館の中の寒さも手伝って、全身にぞわ~っと鳥肌が立った。
タチシェフが最後の「魔法」をかけようとしてやめるシーン。グッと来た。
なんだこの映画。フシギなもの観ちゃったなぁ。
ということで、☆4つ。
好みははっきりと分かれると思います。念のため。