海難1890

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海難1890
『海難1890』

あらすじ

1890年、明治天皇への謁見を終え帰途に就いたオスマン帝国の親善訪日使節団を乗せた軍艦“エルトゥールル号”が、和歌山県樫野崎沖で台風に遭遇し、難破してしまう。600名を超える乗組員たちが海に投げ出されるが、地元住民の懸命の救助活動と、医師・田村を中心とした医療関係者たちの尽力で奇跡的に69名の命が救われる。和歌山の人々のこの行動はトルコ国民に感銘を与え、後世まで語り継がれることで日本に対する好意的な感情の醸成に大きく貢献していく。それから90年以上も経た1985年、イランのテヘラン。イラン・イラク戦争の停戦合意が破棄され、イラクのサダム・フセインは、イラン上空の飛行機を無差に攻撃すると宣言する。この時、帰国の手段を断たれた200人以上のイラン在留邦人の窮地を救ったのが、90年以上も前の出来事に感謝の念を持ち続けていたトルコの人々だった。

海難1890

2015年に日本トルコ友好125周年を迎えたのを記念して製作された日本・トルコ合作映画です。

和歌山沖で沈没したオスマン帝国の軍艦「エルトゥールル号」の乗組員を日本人が救出した、という話は、テレビなどでもたくさん取り上げられていたのでわたしも知っていました。が、それから90年以上経って、今度はトルコの人たちが日本人の窮地を救ってくれたという話は全く知りませんでした。この事実、もっと認知させるべき(みんな知ってる?)。

映画は1890年の和歌山を舞台にした第一部「エルトゥールル号海難事故編」と、1985年のテヘランを舞台にした第二部「テヘラン邦人救出劇編」に分かれます。

まず第一部から。

オスマン帝国を出発したエルトゥールル号は、長い航海の末日本にたどり着き、天皇への謁見を済ませます。本当はもっと早く帰国の途に就くはずが、乗組員がコレラにかかって亡くなって足止めをくってしまい、そのせいで台風の時期を迎えてしまいます。家族と長い間離ればなれの乗組員たちは、とにかく一刻も早く国へ帰りたい。その思いが、暴風雨が迫りくる海へと船を出航させてしまいます。

和歌山の串本沖(現代ではよく飛行機が旋回するところ)でエルトゥールル号は座礁・難破。大爆発を起こし、乗組員たちは海へと放り出されます。その爆発音を聞いた和歌山の地元住民たちは、自らの命の危険も顧みず、海へ飛び込んで漂着した乗組員たちを救い上げます。

海難1890
村人は総出で乗組員たちの命を救おうと、医師の田村(内野聖陽)の指導の下、懸命に応急処置に当たります。かつて許婚を海の事故で亡くし、そのショックで声が出なくなってしまったハル(忽那汐里)も田村の助手として懸命に手伝います。

海難1890
結果、600名以上いた乗組員のうち、命が助かったのはわずか69名。生き残った者はそのまましばらく村で静養することに。でも部下を守りきれず自分だけ助かってしまった海軍大尉のムスタファ(ケナン・エジェ)は、罪の意識にさいなまれ、言葉が通じないこともあって村人たちのせっかくの善意を素直に受け取ることができません。そこを英語が堪能な田村がなんとか説得します。

海難1890
もうね、内野さんがあまりにも完璧な英語を話すのにわたしはびっくりですよ。努力されたんだろうな。

やがて傷の癒えた乗組員たちは、オスマン帝国から迎えに来た船に乗って故郷へと帰っていきます。この船を村人総出で歌いながら見送るのですが、このシーンがもう泣けて泣けて仕方なかった。今思い出しても泣けそう。

この後オスマン帝国政府は、乗組員たちの治療にかかった費用を賠償すると言ってきましたが、田村はそれを断ります。「人として当たり前のことをしただけだ」と。田村は実在の人物ではありませんが、当時実際に治療に当たった医師たちは、同じようにオスマン帝国政府の申し入れを断ったそうです。決して裕福ではない、自分たちが食べるものにも困っているような状態の村なのに。頭が下がります。

時が変わりまして、第二部。

1985年のイラン・テヘランでは、イラン・イラク戦争の停戦合意が破棄され空爆が続いていました。そんな中、日本人学校の教師としてテヘランに赴任していた春海(忽那汐里)はトルコ大使館の職員ムラト(ケナン・エジェ)と出会います。やがてイラクのサダム・フセインが、48時間後にイラン上空を飛行するすべての飛行機を無差別攻撃すると宣言し、イラン国内は混乱に陥ります。日本大使の野村(永島敏行)は外務省に救援機を飛ばすように要請しますが、当時日本からイランへの就航便がなく、政府もすぐに救援機を飛ばすことはできないと判断。ほかの国からは続々と救援機がやってくる中、日本人だけが取り残されてしまう事態に。やがてトルコからやってくる救援機が最後の搭乗のチャンスだと知った晴美は、大使に日本人がそこへ乗り込めるようトルコ政府に頼んでみてほしいと進言します。それがトルコに伝わり、トルコの首相は日本人の為に救援機を飛ばすことを決断。なんとか日本人に希望が見えたものの、いざ空港に着いてみたら飛行機に乗りたいトルコ人たちで溢れかえっていました。

そりゃそうですよ、自分たちの国から飛んでくる飛行機に、どうして日本人を乗せてやらなきゃならんのかと思うのも当然です。しかしここで、ムラトがトルコ人に向かって言い放ちます。「今、絶望に陥っているこの日本人を助けられるのはあなたたちだけです。決めるのは、あなたの心だ」と。それを聞いたトルコの人たちは、日本人に飛行機の座席を譲ってくれるのです。この時ムラトは「エルトゥールル号のことを思い出してほしい」なんて一言も言わなかった。でもトルコの人たちの心には「日本人に受けた恩=エルトゥールル号」っていうのが染みついているんだと思う。学校で教えていたりするのかもしれない。あの時の恩を返すなら今しかない、空港に詰めかけていたトルコの人たちは全員がそう思ったんだと思います。

海難1890
モーゼの十戒のごとく、搭乗口までサーッと道が開けるんですよねー。

トルコは飛行機を2機飛ばしてくれましたが、その2番機がテヘランを飛び立ったのは無差別攻撃開始まであと1時間を切った頃でした。実際にこの飛行機に乗っていた日本人の証言では、イランの国境を越えたあたりで機長の「Welcome to Turkey(ようこそトルコへ)」というアナウンスを聞いたとき、涙が出るほどうれしかったそうです。

じゃあトルコの皆さんはどうやって帰ったかって?イランとトルコは陸続きなんですよ!陸路があるんです!

監督は日本人だし、どうしても海難事故の方がメインな感じで、映画の中でテヘラン救出事件に割かれた時間は短いんだけど、こっちの出来事こそ日本人はもっと知っておくべきだと思うわ。

映画では忽那汐里が1890年のハルと1985年の春海の2役を、トルコ人のケナン・エジェが1890年のムスタファと1985年のムラトの2役を演じています。

海難1890
そうなるとですね、あれ、もしかして春海とムラトはハルとムスタファの生まれ変わりなの?とか邪推しちゃうわけです。名前もハルと春海、だったりするし。実際1985年の方のセリフでも「私たち、どこかで会ったことがあるような気が・・・」みたいなのがあって、これは蛇足だわと思いました。別にそういうファンタジー望んじゃいないんで。それならそれでもっと別の話になるだろうし。

それから1890年の方で「あー、これエンドロールで出てきちゃったらちょっと嫌だなー」って思ってたものが、エンドロールの最後の最後にほんとに出てきちゃって、ちょっと引いた。この演出もいらなかったんじゃないかとわたし個人は思いました。

ということで、/5
わたしの大好きな映画『飛べ!ダコタ』に通じるものもちょっとありますね。

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