先週のスタンディングではあんなに盛り上がっていた「THIS IS IT」。
シネマシティStudio Aでの最終通常上映の回に行ってみたら、泣きたいくらい閑散としていた。
400人キャパのスタジオで、30人も入っていただろうか。
なんとも寂しい12回目の鑑賞となりました。
よく考えたら、わたし、井出さんと増さんが作った「THE EXPERIENCE」をスタンディングでしか観たことがない。
音響レポーターの時もスタンディングバージョンだったし、その後も3回ともスタンディングだった。
これが初めてのノーマルバージョン鑑賞。
でも、ノーマルバージョンが一番音を味わうにはいいらしい。
井出さんって?増さんって?THE EXPERIENCEって?という方はこちらをお読みくださいませ。
25、26日に手向けられた献花台の花はすでにロビーにはなく、次の上映に向けての準備がされているようだった。
そう、この一番大きなStudio Aは、次の日から「踊る」に明け渡すことになっている。
今まで1日5回もAで上映してくれていたことの方が奇跡なのかも。
もう喪が明けたことだし、本来ならMJの曲たちは泣くためにあるものではないってことで、次からはちょっと趣向を変えた上映にしようと、シネマシティさんでは考えているみたい。
だから、自分の中では泣けるのはこれが最後、だと思って観に行った。
すっかすかの座席の間に、時折響くわたしのすすり泣き(笑)。シュールだ。
前日にキャプテンEOを観たばかりだったので、やっぱりその容姿の変貌ぶりに・・・。
でもさ、25年も経てば誰だって年取るし、顔も変わるよ。それなりに。うん。たぶん。
彼の死から1年経ってみて、いろいろ考えた。
その死が他人がもたらしたものではなく、自然なものだったとしたら。
もしMJが新しいコンサートを生み出そうとしていなかったら。
記録用のリハーサル映像が残っていなかったとしたら。
きっとここまでMJのことを強く思うこともなかっただろうし、改めて好きになることもなかったと思う。
あの裁判の時、正直なところ、わたしは信じていなかった。
マスコミたちは、彼が有罪になればいいと思ってた。
そうすれば特番を組んだり暴露本を出したり、多大なるお金が動いたからだ。
そんなマスコミの情報に踊らされて、鵜呑みにして、MJのことをどこかで信じていなかった。
それが今はどうだろう。
亡くなったとたんに、賞賛の嵐。あんなにも叩きまくっていたマスコミたちが、手の平を返したよう。
確かにアメリカ国内では、いまだに彼のことを批判する人たちも少なくないという。
でも、そんな中でも彼を支え続けたのは、ヨーロッパや日本のファンたちだった。
タイガー・ウッズがあの事件で叩かれまくっていた時、大泉洋は言いました。
「アメリカのマスコミは、またマイケル・ジャクソンの時と同じ過ちを犯すのか」と。
洋ちゃん万歳。もっと言ってやれ。
失ってから気づくものは、とてつもなく大きい。
いろんなことをひっくるめて、わたしももちろんひっくるめて、世間って最低だなって思った。
彼がこんなにも愛されているのは、歌やダンスだけじゃない。「なにをしてきたか」だ。
もっとスポットライトを当てなければいけない功績が、彼には山ほどある。
わたしが毎回、「THIS IS IT」を観ながら流す涙は、悲しいからだけじゃなくて、
MJに対する償いの涙でもあるんだって、12回目にしてようやくわかったよ。
知らなかった、知りたくなかった、知っておくべきだった真実。
ごめん、MJ。本当にごめんね。
泣こうと思えば、今だって泣ける。だけど理性で抑えてる。
自分の身近じゃない人が亡くなってこんなに悲しいのって、生まれて初めての経験で、自分でもどうしていいのかわからない。
わたしにできることってなんだろう?
もちろん遺志を継ごうとか、そんな大それたもんじゃない。
きっと、わたしにできるのは、いつまでも忘れないでいること。それくらいなんだと思う。
だからこうして何度も、劇場に足を運ぶんだ。